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ゼネラルモーターズ
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なおこの内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。投稿者は検証可能性を確認し、正確な記述を心がけてください。
ゼネラルモーターズ コーポレーション
General Motors Corporation 
市場情報 NYSE GM 1916年12月20日[1]〜2009年6月2日
 
略称 GM
本社所在地  アメリカ合衆国
ミシガン州 デトロイト
設立 1908年9月16日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車
代表者 ケント・クレサ 会長
フレデリック・ヘンダーソン CEO
ロバート・ラッツ 副会長
従業員数 26万6000人 (2008)
主要子会社 ビュイック、キャデラック、シヴォレー、GM大宇、GMC、ホールデン、ハマー、オペル、ポンティアック、サーブ、サターン、ヴォクスホール、SAIC-GM武嶺
関係する人物 ウイリアム・C・デュラント 創始者
外部リンク http://www.gm.com/
特記事項:2009年6月、連邦倒産法第11章を申請。
 表・話・編・歴 
 
かつてのゼネラルモーターズ本社
現在のゼネラルモーターズ本社(スーパーボウルXL仕様)ゼネラルモーターズ (General Motors Corporation) はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く企業で、アメリカの自動車ビッグスリーの一角。略称は「GM」。2009年6月1日に連邦倒産法第11章の適用を申請した。

目次
1 歴史
1.1 創生期〜第二次世界大戦まで
1.2 第二次世界大戦後〜1990年代
1.3 2000年頃〜2008年
1.4 経営破綻
2 無視された警告
3 ブランド一覧
3.1 北米
3.2 欧州
3.3 アジア・オセアニア
3.4 廃止されたブランド
3.4.1 北米
3.4.2 欧州
3.4.3 アジア
4 主なプラットフォームと使用車
4.1 デルタ・プラットフォーム
4.2 イプシロン・プラットフォーム
4.3 シータ・プラットフォーム
4.4 ラムダ・プラットフォーム
4.5 カッパ・プラットフォーム
5 日本での販売と日本法人
6 かつての関連企業
7 提携関係
8 関連項目
9 参照
10 外部リンク
 

 歴史
 創生期〜第二次世界大戦まで
1908年9月16日に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズである。ビュイック・モーター(1903年創業)の経営を1904年に任されたデュラントは、社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーにした。デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末にオールズモビルを買収し、翌年にはキャディラック、エルモア、オークランド(後のポンティアック)などを買収してGMの一部とした。その後もミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収するが、1910年には買収費用により100万ドルの負債を抱えたデュラントはGMの支配権を失い、バンカーズ・トラストが会社の支配権を握った。

デュラントはその後シボレーの創立(1911年)に関わり、GMの株を買い戻して1916年には社長に返り咲き、シボレーを翌年GMの一部とした。彼の背後には1914年に最初の投資を行って以降1950年代までGMに関与し続けたデュポン社の社長ピエール・S・デュポンがいた。

1920年にピエール・デュポンはデュラントを追い出してGMの実権を奪い、社長として擁立したアルフレッド・スローンの経営によって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年からサターンがシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、ジオというブランドが最下層として存在した時期があった)、最上段にキャディラックを位置付け、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー1であり続けた。消費者はGMの提供する上級ブランドに魅せられ、GMの金融サービスによるオートローンやクレジットで高額のブランド車を買うようになった。GMはこうしてクレジット商法を拒んだフォードを突き放した。

1920年代から1930年代にかけてGMはバス製造会社イエローコーチを買収し、グレイハウンド社の創設を手助けした。またGMは1936年に石油会社スタンダード・オイル・カリフォルニア(のちのシェブロン)やタイヤ会社ファイアストンと共同で「ナショナル・シティ・ラインズ」を創設し、1950年までに全米各地の路面電車会社や電鉄会社を買収し、これをバス運送に置き換えていったが、これは後に自動車関連各社による鉄道縮小の陰謀として非難を浴びた。(その詳細と正確性についてはアメリカ路面電車スキャンダル、パシフィック電鉄を参照)

GMは航空機製造に関心を示し、1930年にフォッカーの子会社アトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカを買収しゼネラル・アビエーション部門とし、1933年にはノースアメリカンを買収してノースアメリカンを存続企業としたが、1948年に株を公開し、これ以降航空機には関わっていない。

また初期のフォードは1つの車種を世界中で生産したが、GMは初期から各々の地域毎に多種多様な車種を供給し、そのために南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど世界中に生産拠点を設けた。1925年(大正14年)のアジアを視野に入れたフォード社日本進出に続き、1927年(昭和2年)から1941年(昭和16年)まで、大阪(現在の大阪市大正区鶴町1丁目、大阪市営渡船船町渡船場付近)に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立。シボレー車のアジア向けノックダウン生産および、販売サービスをおこなった。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。

ドイツでGMはオペルを1931年に子会社とするなど活発な投資を繰り広げ、ドイツでの自動車製造を利益の大きな重要事業とみていた。ナチス台頭後オペルはGMの支配を離れ、GMはイギリスの子会社ヴォクスホールなどを通じ戦車など軍用車両を製造して第二次世界大戦下で連合軍を支えたが、一方でオペルはナチスの欧州侵攻を支え、GM首脳グレアム・K・ハワードやジェームズ・D・ムーニーらはナチスに個人的に深くかかわり、ムーニーは戦争前にヒトラーから受勲するなどしている。

 第二次世界大戦後〜1990年代
戦後、1950年代にはGMはアメリカ最大の会社となり、1953年には社長チャールズ・E・ウィルソンはアイゼンハワー政権の国防長官となった。1955年12月末には、GMはアメリカで最初に年10億ドル以上を稼ぐ企業となった。

1970年代以降、オイルショックによって小型車の需要が高まると、それまでアメリカ国内で開発して来た小型車(コーヴェア、ヴェガ等)をオペル、いすゞ等の開発協力を得たモデル(『Tカー』、『Jカー』等)に代替するなどの販売戦略の転換が進められたが、品質と生産性の悪化が顕著となり、1981年から1990年まで会長職にあったロジャー・スミスの下、さまざまな取り組みが進められた。1984年にはトヨタ自動車との合弁会社『NUMMI』を設立し、QCに関するノウハウの吸収に努めたほか、アメリカ国内の工場のリストラ、労働条件の引き下げといった生産性を向上する取り組みにも着手した。日本車やドイツ車のコンセプトを模倣したサターンや高度にロボット化された工場の失敗などはあったものの、1990年代初頭には一定の成果を見せるようになった。また、1990年代を通じたアメリカの好景気は、フルサイズSUV・ピックアップトラックなどの需要を生み出し、アメリカ国内のシェア低下には歯止めが掛からなかったものの、高い利益率は好業績を維持することに貢献した。

 2000年頃〜2008年
2000年頃からは環境保護問題の高まりなどの外部環境の変化を受け、消費者の嗜好は再び燃費の良いサブコンパクトカーやハイブリッドカーにシフトしたが、GMは時代の流れに逆行し高い利益率のフルサイズSUV・ピックアップトラックに集中し続け、むしろ小型車部門のジオは整理・縮小させる方向にあった。

また2001年のアメリカ同時多発テロ事件直後に販売量が落ち込んだ際には、生産量を落とさない方針を採ったため次第に在庫が増加。在庫を捌くために販売店へのインセンティブの上乗せや値引き販売を激化させる悪循環に陥り、2005年までに企業収益は一気に悪化した。過去の従業員の退職年金や医療費負担なども財務を圧迫し続け、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされるに至り株価は低迷、株式投資会社の介入を招く事態にもなった。部品調達で密接な関係を持つデルファイ・コーポレーションが経営危機を迎えた際にも、直接救済する体力は無かった。

2005年以降は、提携先の株式の処分も進められている。10月には、資本提携していた富士重工業株をトヨタへ売却、2006年にはいすゞ自動車株を売却し資本提携を解消、2006年3月には、スズキ株の大半を売却し、2008年11月18日付で資本提携を完全に解消した。こうした株式の処分は特別利益となり経営体質の改善に直結するが、一方でGMの伝統である、地域毎に多種多様な車種を生産し融通し合うという特徴(サブコンパクトカーの開発・生産はスズキやいすゞが担った)を薄めることであり、今後の商品開発力低下を危惧する見方もある。

2006年7月には、カーク・カーコリアン率いる投資会社・トラシンダから、ルノー=日産アライアンスとの提携を推奨され協議に入ることが大々的に報じられたが、GM首脳部には提携の意志はなく、同年10月中に破談し交渉は終了している。

2007年の自動車販売台数は、トヨタ自動車グループと僅差で世界一(937万台)であったが[2]、ガソリン価格の高騰、サブプライムローン問題に端を発する世界金融危機の影響で、北米での売上が大きく落ち込んだ。その結果、2007年度決算で3兆円という途方もない額の赤字を生むこととなった。また、2008年上半期には約77年間も守り続けた販売台数世界一の座もトヨタに明け渡した[3]。

GMは巨額の年金・退職者医療の債務を抱え、債務超過に陥り、株主配当も停止され、金融市場から債券発行による資金調達も困難な状態にあった。GMの純損失額は2005年105億6700万ドル、2006年19億7800万ドル、2007年387億3200万ドルであった。

2008年第1四半期から第3四半期までの財務データは、売上高1186億ドル、営業損失139億ドル、純損失213億ドルであり、第3四半期終了時点で、負債総額は1703億ドル、CDS残高2000億ドル、債務超過額599億ドル、手元資金162億ドル(3ヶ月のうちに50億ドル減少)であった。2008年第3期の売上高は前年同期比13%減の379億4100万ドルであった。

2008年10月のGMの新車販売台数が前年同月比45%減になる状況の中[4]、10月31日に米国財務省はGMとクライスラーの合併に必要なリストラ費用100億ドルを、2008年に成立した緊急経済安定化法から支出することを拒否し[5]、GMはクライスラーとの合併協議を中断した。格付会社S&Pは、GMの格付けを「B-」から「CCC+」に格下げし、見通しもネガティブとした[6]。

2008年11月11日には株価が2.75ドルと1943年以来65年ぶりの安値になった。11月のGMの新車販売は2ヶ月連続の4割減、-41.2%だった。 GMは、フォードとクライスラーと共に、アメリカ連邦政府に金融支援を含んだ自動車業界救済法案の採決を求めたが、金融支援をうけるのに必要な経営再建策に具体性がないことなどを理由として、議会は11月に採決を行わなかった。

そこで、GMら3社は、12月1日に経営再建策を議会に送付し、上院と下院で公聴会が開かれた。下院は自動車業界救済法案を12月10日にまとめ本会議で可決したが、選挙前の勢力分布で伯仲していた上院では、修正案を採決にもっていくための投票で必要な60票がとれず、12月11日に廃案となった。

議会での自動車業界救済法案の不成立を受けて、ついにブッシュ大統領が介入し、12月19日に、緊急経済安定化法の成立で運用が始まった不良資産救済プログラム(TARP)7000億ドル分のうち、議会承認済みの3500億ドルの中で未使用であった150億ドルを活用して、GMに134億ドル、クライスラーに40億ドルの合わせて174億ドルのつなぎ融資を実施することを決定した。実際に、GMには2008年12月31日に40億ドル、2009年1月21日に54億ドル、2月17日に40億ドルの3段階に分けた合計134億ドル、クライスラーには2009年1月2日に40億ドルの、総額で174億ドルのつなぎ融資が実施された。

 経営破綻
オバマ政権発足後も危機は継続し、2009年2月20日には、子会社のサーブ・オートモービルがスウェーデン政府からの公的支援を拒否されたこともあって事実上の経営破綻に追い込まれた。

2009年4月には、アメリカ政府は新たにGMに50億ドル、クライスラーに5億ドルの合わせて55億ドルのつなぎ融資を実施することを決定し、実際に4月末にクライスラーへの5億ドルの融資が実施された。

しかし会社側と債権者の債務削減交渉が5月26日深夜にまとまらず、翌27日に交渉の打ち切りが発表された。結果、米政府が支援を継続する条件を満たせなくなる見通しが強まり、この影響により29日のニューヨーク株式市場ではGM株価が急落し0.75ドルで取引を終え、1933年以来76年ぶりに1ドルを割り込む形となった[7]。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては世界最大である。今後はアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有し、実質的にアメリカ政府により国有化され再建を目指す。メディアから社名のGMはガバメント・モーターズと皮肉られた[8]。

ニューヨーク証券取引所は、ゼネラルモーターズの連邦倒産法第11章の申請を受け、2009年6月2日の取引開始前から、同社株を売買停止とし、そのままGMGMQ株へ変更された[9]。これを受けてダウ・ジョーンズ社は、同社が算出・公表する「ダウ工業株30種平均」構成銘柄からゼネラルモーターズを除外した[10]。

2009年7月10日、優良資産譲渡を完了と発表。破産法管理下から脱却し「新生GM」が正式に発足。GMGMQ株価は37%急騰し、40日ぶりに1ドルを超えて終えた。

GMの日本法人「ゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン」は2009年7月10日、7年ぶりに米国内で発売したスポーツカー「シボレー・カマロ」の新型車を、今秋にも始めると発表。リック・ブラウン社長は「この車でGMのブランド力を高めたい」と強調。

 無視された警告
GM北米乗用車・トラック部門担当副社長(旗艦ブランドのシボレー事業部長から昇進。日本風に言えば専務)に48歳でなったジョン・Z・デロリアン(John DeLorean、彼が作ったデロリアン・DMC-12は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にも登場している)は財務部門との内部抗争に破れ退社し、「晴れた日にはGMが見える」(原題:ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE GENERAL MOTORS:1979)というインタビュー記録(本人不承認)が出版された。その中で特に強調されているのは外部や内部からの忠告・提言をたとえどんなものであっても拒絶する姿である。

強く印象に残る内容は経営学者・ピーター・ドラッカーがGMを研究した好意的な著書「会社という概念」(1946年)で書かれた「戦後期には組織・事業・目標を見直す必要がある」という穏健な記述に対して起こったGM内部の憤激である。「GMは世界一なのだから、批判はもってのほか」という理屈である。また最上層部(「十四階」)には自動車産業運営の知識と経験と能力がないとも書いている。

ジャーナリストのデビッド・ハルバースタムは『覇者の驕り―自動車・男たちの産業史』(原著、1986年)で、GMをはじめとするビッグスリーが驕り高ぶり、その結果として日本車の攻勢に徐々に破れるも改革を拒む姿勢を描いている。

消費者運動家・ラルフ・ネーダーが「どんな速度でも安全ではない」というシボレー・コルベアの欠陥を告発した本を出版したときGMから探偵の尾行を付けられ、GMは議会で謝罪する事態になった。あとで分かったのは、この活動は最上層部の承認なしに自動的に行われたということである。GMは批判を色々な手段で抑圧する会社と見られた(ネーダーは極めて禁欲的な人間であり、全く弱みを見つけることは出来なかった)。

現在のGMは「それらは昔のGMであり、今のGMとは異なる」という立場をとっている。

 ブランド一覧
 
ポンティアック・グランダム
サーブ・9-5エステート 北米
詳細はゼネラルモーターズの車種一覧を参照

キャデラック
シボレー
ビュイック
ポンティアック
サターン
ハマー
GMC
 欧州
オペル
ヴォクスホール(英国のみ)
サーブ
 アジア・オセアニア
ホールデン
デーウ(大宇)(韓国・ベトナムのみ。それ以外の地域ではGM大宇車はシボレー、ビュイック、ホールデンなどのブランドで販売される)
 廃止されたブランド
 北米
エルモア・マニュファクチャリング・カンパニー (1909年 - 1912年)
Rapid Truck (英語)(1909年 – 1912年)
Reliance Truck (英語)(1909年 – 1912年)
Marquette(英語)(1930年)
オークランド(1907年 - 1931年)
Viking (英語)(1929年 – 1931年)
ラサール(1927年 - 1940年)
Beaumont (英語)(1966年 - 1969年、カナダ)
Envoy (1960-1970、カナダ)
Acadian (英語)(1962年 - 1971年、カナダ)
アスナ(1993年、カナダ)
ジオ(1989年 - 1997年)
オールズモビル(1897年 - 2004年)
w:General Motors Diesel Division(英語)
 欧州
w:Bedford Vehicles(英語) (1930年 – 1987年、イギリス)
 アジア
Statesman (英語)(1971年 – 1984年、オーストラリア)
 主なプラットフォームと使用車
 デルタ・プラットフォーム
アストラ
シボレー・コバルト
シボレー・HHR
サターン・アイオン
 イプシロン・プラットフォーム
オペル・ベクトラ
サーブ9-3
シボレー・マリブ
サターン・オーラ
ポンティアックG6
キャディラック・BLS
 シータ・プラットフォーム
シボレー・エキノックス
ポンティアック・トレント
サターン・ヴュー
シボレー・キャプティバ/デーウ・ウィンストーム
スズキ・XL7
 ラムダ・プラットフォーム
ビュイック・エンクレイヴ
サターン・アウトルック
GMCアカディア
 カッパ・プラットフォーム
ポンティアック・ソルスティス
サターン・スカイ/オペルGT/デーウ・G2X
 日本での販売と日本法人
1915年(大正4年)創業の梁瀬自動車(現ヤナセ)が、輸入代理店として、GMのビュイック、キャディラックの販売を開始。ビュイックはビウイク号、キャディラックはカデラツク号だった。のち、シボレー号も販売開始。

1925年(大正14年)、フォード社が日本に進出、神奈川県横浜市に組立工場を開業した。GMは1927年(昭和2年)、大阪市大正区鶴町(現在の鶴町1丁目、大阪市営渡船船町渡船場付近)に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立し、組立工場でのシボレー車のノックダウン生産と販売をおこなう。1941年(昭和16年)まで操業。フォード同様、日本だけでなく中国などアジア全体を視野にいれた進出だった。日本における影響は大きく、全国に渡る自動車販売サービス網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。

1936年の自動車製造事業法施行により、国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、1941年太平洋戦争開戦の年に日本から撤退。第二次世界大戦後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる。

現在、日本法人は日本ゼネラルモーターズ(GMJ)とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)の2社がある。2006年より、恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)から品川シーサイド(東京都品川区)へ本社を移転した。

 かつての関連企業
富士重工業→資本提携解消。保有株式の一部をトヨタ自動車へ売却。
フィアット(イタリア)→資本提携解消。後にクライスラーを傘下に収める。
いすゞ自動車→資本提携解消(のち保有株式の一部を伊藤忠と三菱商事が取得)。ただし業務提携関係は維持。
スズキ→資本提携解消
GMはスズキの株式を20%取得していたが、2006年にその持ち株比率を20%から3%へ大幅に引き下げ、2008年11月18日付で全株をスズキに売却し資本提携を解消した。ただし業務提携関係は小型車で維持されている。
 提携関係
トヨタ自動車 - カリフォルニア州での合弁事業(NUMMI)、燃料電池車の開発など。
BMW、ダイムラー - ハイブリッドシステム「2モードハイブリッド」の3社共同開発。
アフトヴァズ(ロシア) - ロシアでの合弁事業(GM-AVTOVAZ)。
ボスホス - オートバイメーカー。自社製のV型8気筒エンジンを供給。
カノン - 同上。フォード・モーターとともに自社製エンジンを供給。
スズキ合弁企業 - CAMIオートモーティブ(カナダ)での生産や、スズキがGM大宇への出資を行っている。現在、スズキではGM車のうちシボレー・MWのみ生産販売を行っている。
 関連項目
Fシリーズディーゼル機関車
ビッグ3
デルファイ・コーポレーション
フィアット・オート
GM大宇
スズキ
ヤナセ
6大グループ
 参照
^ [1]
^ トヨタ、年間販売台数で初の世界一に届かず。読売新聞。2008年1月24日取得
^ 08年上半期の世界販売台数でトヨタが首位、米GMは3%減。ロイター。2008年10月21日取得
^ [2]
^ GM・クライスラー合併への公的支援、米財務省が難色
^ [3]
^ “GM株、終値75セント NY株は続伸”. NIKKEI NET. (2009年5月29日) 
^ 2009年6月1日付MSN・産経ニュース
^ 2009年6月1日付朝日新聞asahi.com(ロイター社提供)
^ 2009年6月2日付NHKニュース
 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ゼネラルモーターズに関連するマルチメディアおよびカテゴリがあります。ゼネラルモーターズ (英語)

カテゴリ: 経営問題 | ゼネラルモーターズ | 多国籍企業 | ミシガン州の企業 | NYSE上場企業 | 軍需関連企業

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